近道したい

高校生が日々の不満やストレス、日常のちょっとした出来事、ふと思い付いた事などを綴っていきます。

去年書いたブログの下書きが面白かった

長かったゴールデンウィークもあと1日。

何もする気が起きないから、自分のはてなブログを読み返して、変な文章書いてるな僕とかウダウダ考えてていたら、丁度去年の今頃書いて放置してあった下書きを見つけた。

あの時は読み返して自分は何を書きたいのか混乱して投稿するのをやめたんだった。

 

読んでみたらなかなか面白く、読後何故か元気が出てきた。

(あの頃の自分こんな事で悩んでたんだな、可愛いなおいみたいな)

猛獣には餌としてコミュニケーションとか意味不明な事も書いてあるが。

令和になってから何も更新していなかったので、これを投稿する事にした。

 

2018年5月02日

題名 友達・何故僕はぼっちなのか 

 

うちは猫を飼っている。

ぼっちの僕の友達は猫だけだ。

猫も僕を友達だと思っているだろう(多分)

猫は気に入ったとか嫌いだとか、そんな理由で善意を与えようとしたり悪意を与えようとしたりしない。

ただ人間が危害を加えないとわかると逃げなくなるだけだ。

こっちが撫でるとあっちも舐めてくるし、無理矢理動かしたりすると怒って猫パンチされるだけだ。

ただの反応だ。そこに面倒くさい思考は介在していない。

 

猫とのコミュニケーションは僕にとって完全に自然なものだ。

 

動物によって性格の違いはあるけど、僕は全ての動物とコミュニケーションが取れると思う。

ある時は人間として、ある時は猫として、野生のライオンやクマなんかには餌としてコミュニケーションが取れる自信がある。

動物は僕がいなくなってもそこまで何も思わないだろうし、いてもそこまで何も思ってないからだ。

だから餌にされるのに危険は感じても、怒りは感じない。

 

人間は関わり始めると何かを求めてくる。

ただそこにいることを許してくれない。

話す時だって、楽しげにしているよう努めないといけない。

人間は関わると僕の中身を求めてくる。

高校始まったばかりの頃、僕は友達は作れるだろうと思って喋ろうと努力した。

中学の頃、人と関わるのに疲れてヤバかったから、僕が定めた距離感は変えないようにして。

 

一番最初はある程度喋る奴ができた。

愛想笑いとかちょっとした冗談を言うのは得意だからだ。

でも、会うたび会うたび喋らなくなり、二週間後くらいには全くと言っていいほど喋らなくなった。

 

僕は放課後どこかに誘われても行かなかったし、会話でも全然発言しなかったし、いちいち突っ込みするのも疲れて、次第に回数が減っていった。

 

客観視すると仲良くなる気あんのかこいつと思うが、僕は自分の精神がおかしくならない範囲で、人と接して、コミュニケーションを取っているつもりだった。

 

しかし勿論周りが僕に合わせてやるなんてことはない。

 

二回言うけど僕は自分のできる範囲で、コミュニケーションに努めた筈だった。

 

しかし甘かった。

 

自己と他者の両立なんてできないと気付いた。

自分を選ぶか、他人を選ぶか。

今でも僕の前にはこの二択しか無いように感じている。

 

自分の安全を選ぶとぼっちになり、他人との関わりを選ぶと自分が疲労して、精神が持たないだろう。(実際経験済みだ)

人との繋がりは欲しいのに、人と会話している時は好きじゃ無いことを無理やりやっているような気持ち悪さがある。

 

この時教訓として学んだのが、求められている一定以上のコミュニケーションができないのなら、そもそも人との関わりは必要な時だけ最低限にすべきで、友達みたいな人との繋がりを求める資格はないと言うことだ。

 

だからそれからは静かに過ごしているし、一年すれば慣れた。