近道したい

高校生が日々の不満やストレス、日常のちょっとした出来事、ふと思い付いた事などを綴っていきます。

前回のブログの下書きに完全に同意。

また死にたくなった。

ここ最近欠席と遅刻を繰り返している。

職員室で、「高3なのに休みすぎ」と先生に怒られた。

当たり前なので、僕も頑張らなきゃ、と思った。

職員室から出て、自分の情けない現状を認識して、先生の言葉を反芻したら「こんなんでこの先どうなるんだろうか、僕の人生終わりだ」と思って、涙がブワッと出てきた。

急いでトイレに駆け込んで、個室に入って泣いた。

最近涙脆くなったのか、一人で泣く事が多い。

しかし基本学校では鉄仮面の僕が、高校で泣いたのは初めてだった。

教室に行くと、目が真っ赤になった僕を見て、結構僕に話しかけてくれる、ある二人の友達が元気づけてくれた。マジで嬉しかった。彼らに祝福あれと神に祈りまくった。

学校で泣いたことによって、少し学校が身近に感じれるようになったと思ったのだが、僕の暗黒の時代はそこで終わらなかった。今日また欠席してしまったのだ。

優しくしてくれた友達に見せる顔がない。

そんな思い煩いもある中、テストや課題にも追われている、雑魚の僕にとっては正直かなりピンチだ。

だからこの2年半こういう時のストレスの吐け口になってくれたブログに戻ってきた。

書いていて少し楽になった。

去年書いたブログの下書きが面白かった

長かったゴールデンウィークもあと1日。

何もする気が起きないから、自分のはてなブログを読み返して、変な文章書いてるな僕とかウダウダ考えてていたら、丁度去年の今頃書いて放置してあった下書きを見つけた。

あの時は読み返して自分は何を書きたいのか混乱して投稿するのをやめたんだった。

 

読んでみたらなかなか面白く、読後何故か元気が出てきた。

(あの頃の自分こんな事で悩んでたんだな、可愛いなおいみたいな)

猛獣には餌としてコミュニケーションとか意味不明な事も書いてあるが。

令和になってから何も更新していなかったので、これを投稿する事にした。

 

2018年5月02日

題名 友達・何故僕はぼっちなのか 

 

うちは猫を飼っている。

ぼっちの僕の友達は猫だけだ。

猫も僕を友達だと思っているだろう(多分)

猫は気に入ったとか嫌いだとか、そんな理由で善意を与えようとしたり悪意を与えようとしたりしない。

ただ人間が危害を加えないとわかると逃げなくなるだけだ。

こっちが撫でるとあっちも舐めてくるし、無理矢理動かしたりすると怒って猫パンチされるだけだ。

ただの反応だ。そこに面倒くさい思考は介在していない。

 

猫とのコミュニケーションは僕にとって完全に自然なものだ。

 

動物によって性格の違いはあるけど、僕は全ての動物とコミュニケーションが取れると思う。

ある時は人間として、ある時は猫として、野生のライオンやクマなんかには餌としてコミュニケーションが取れる自信がある。

動物は僕がいなくなってもそこまで何も思わないだろうし、いてもそこまで何も思ってないからだ。

だから餌にされるのに危険は感じても、怒りは感じない。

 

人間は関わり始めると何かを求めてくる。

ただそこにいることを許してくれない。

話す時だって、楽しげにしているよう努めないといけない。

人間は関わると僕の中身を求めてくる。

高校始まったばかりの頃、僕は友達は作れるだろうと思って喋ろうと努力した。

中学の頃、人と関わるのに疲れてヤバかったから、僕が定めた距離感は変えないようにして。

 

一番最初はある程度喋る奴ができた。

愛想笑いとかちょっとした冗談を言うのは得意だからだ。

でも、会うたび会うたび喋らなくなり、二週間後くらいには全くと言っていいほど喋らなくなった。

 

僕は放課後どこかに誘われても行かなかったし、会話でも全然発言しなかったし、いちいち突っ込みするのも疲れて、次第に回数が減っていった。

 

客観視すると仲良くなる気あんのかこいつと思うが、僕は自分の精神がおかしくならない範囲で、人と接して、コミュニケーションを取っているつもりだった。

 

しかし勿論周りが僕に合わせてやるなんてことはない。

 

二回言うけど僕は自分のできる範囲で、コミュニケーションに努めた筈だった。

 

しかし甘かった。

 

自己と他者の両立なんてできないと気付いた。

自分を選ぶか、他人を選ぶか。

今でも僕の前にはこの二択しか無いように感じている。

 

自分の安全を選ぶとぼっちになり、他人との関わりを選ぶと自分が疲労して、精神が持たないだろう。(実際経験済みだ)

人との繋がりは欲しいのに、人と会話している時は好きじゃ無いことを無理やりやっているような気持ち悪さがある。

 

この時教訓として学んだのが、求められている一定以上のコミュニケーションができないのなら、そもそも人との関わりは必要な時だけ最低限にすべきで、友達みたいな人との繋がりを求める資格はないと言うことだ。

 

だからそれからは静かに過ごしているし、一年すれば慣れた。

 

 

 

今日の曲 Eric Satie エリックサティ!!

エリックサティは素晴らしい

何というか痛いけど(有名な作曲家に共感!とか言うの痛いけど)、凄く共感できる。ソウルメイトという奴だろうか。(痛い)

 

彼の作品で有名なのはこれ「ジムノペディ」だろう

どこかで一度は聴いた事があると思う。

 

https://youtu.be/_fuIMye31Gw

 

僕のお気に入りはこれだ

第一曲の「ナマコの胎児」を家で弾いてみたりもした

楽譜には詩のような物が書いてあってこれもまた面白い。「かすかなゴロゴロ」が特に好き。

ナマコの日常の中の小さな冒険である。

 

「干からびた胎児」

https://youtu.be/1VyJFlXK70M

偉そうだがナマコの胎児はもうちょっとテンポが速い方が好み

 

 

ところで、曲名が奇抜なのが気になると思う

エリックサティの曲は奇抜なものがとても多い

ジムノペディ」も古代ギリシアの神々(アポロンバッカス等)を讃えるために青少年を大勢集めて裸で踊らせる祭典「ギュムノパイディア」の事だし

(wikipediaに書いてあった)

 

他にも犬のためのぶよぶよした前奏曲

(犬のための)本当のぶよぶよした前奏曲

ワルツ「目に意味ありげにキスする」場末の姉さん等がある(変なのが沢山ある)

 

エリックサティは、アンコエラン派とか言うモナリザに髭を描いてタバコを吸わせるような、中高生の落書きみたいな事をする連中と連んでいたようなので、その影響もあるんでしょう。

あとは色々と皮肉が込められていたりするようです。

 

今でこそ現代の環境音楽(bgm音楽)の祖とも言われるサティだが、当時の音楽界にとって異端であった彼が、ドビュッシーに「形式的な音楽を作ってみては」と忠告され作ったピアノ曲「梨の形をした3つの小品」

(これもとてもいい)

フランス語の「梨」と言う単語にはもう一つの「まぬけ」や「うすのろ」と言った意味があり、ドビュッシーに対する皮肉になっている。

 

とかがあります。(wikipediaに(ry)

 

あと本当の犬のためのぶよぶよした前奏曲も、犬のためのぶよぶよした前奏曲を出版社に持って行った時に拒否られた事に対する皮肉でつけられた曲名だそうです。

 

こんな感じで名前からしてとても楽しいエリック・サティの音楽!

 

梨の形をした3つの小品もそうですが

、冷たい小品と言う作品もおすすめです。

エリック・サティの曲は名前と同様曲自体も奇抜なものが多いのですが、ジュ・トゥ・ヴー(お前が欲しい)の様な普通にいい感じのシャンソン音楽も作っています。

(これも聴いた事がある人多いかもしれません)

「ジュ・トゥ・ヴー」

https://youtu.be/eqqPvg-tD7Q

 

ピアニストですが僕は高橋悠治の演奏を良く聴きます(アマゾンミュージックで聴けるから聴いてるだけでこだわりとかはない)

こだわりは無いですけど、やっぱり演奏って奏者によって結構印象違ったりするので重要ですよね。

 

書くの疲れてきたしこんぐらいにしときます。

 

皆さんもエリック・サティを聴いてみては如何でしょうか。

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

今日学校をサボった あとふと思った事

今日学校をサボった。

朝起きたらなんか行く気にならなくて、母は用事で家にいなかったからそのままサボった。

最近結構こういうことがある。

どうしても動けないことが多い。周りからはみんなも辛いんだよとか言われるが、自己中な僕は、周りが辛いからってなんで僕も辛くならなければならない?と本気で思っている。

 

まあ2年間無理したから少しガタがきているのだろう。遅刻も増えているので来週からは元どおりになりたいと思っている。

 

高校へ行くのには授業料がかかるから、お金を払っている親には悪いことをしたが、親は子供が親不孝か親孝行になるかなんてわからないのに、子供を作るわけだから、多少の親不孝は許してくれるだろうと認識している。

 

あとこの前老人が騒いでる若者をうるさいからって車で轢き殺した事件の話を聞いた。

その話題が正月におじいちゃんの家に行っていた時に出て、おじいちゃんやおじさんたちはそいつをバカだバカだ言っていたが、その話を聞いている時僕はヒヤヒヤしていた。

最近病んでいるから、このまま老人になって認知症にでもなって、精神のタガが外れたら、僕もそうなるかもしれないと思ったからだ。

 

なんでそう言う思考になっちゃったかと言うと、犯人をバカだバカだと言うおじいちゃん達をみて、自分が言われている気がしたからだ。

 

そこで思ったのだが、よく父も夜家でニュースをみて、こう言う事件に頭おかしいとかネチネチ言っているし、ツイッターでは間違いを犯した途端炎上する。

僕は父やツイッター民の怒りが理解できないってだけで、彼らがバカだとか言うつもりは無いが、そう言う人たちはただ怒ったり論争するのが好きなんだろうなと認識している。

ツイッターや家の中でネチネチ言っても世界が変わるわけじゃあるまいし。

 

俺の場合そう言う嫌なニュースは注意しないと目に入ってこないし、目に入っても世の中嫌な事もあるなあで流してしまう。

ネチネチ怒ることに僕の時間を消費したくないからだ。

 

僕から言わせればそんな事に時間を消費するぐらいなら、自分がそうならないように注意すべきだと思うのだが。

 

キリストみたいに悪い奴を改心させたいとか思ってるならともかく、

悪い奴が嫌いなだけなら、わざわざ嫌いな奴に時間を使わなくていいだろうに。

 

そんな事を書いてて気づいたが、僕も嫌な事に対してこうやって時間を使っている。

 

金縛り 最悪な夢

僕は自律神経がおかしいからか、よく金縛りになるが、ここ一ヶ月くらい全く見ていない。

嬉しい。

 

ふと思い立ったので僕が今まで見たワースト三位の夢を紹介しようと思う。

 

一位 (金縛り?)

 

やけに明るい緑色の変な密林みたいなところで、巨大なウツボカズララフレシアのような植物が出現して、体がとてつもなく重くなり、意識が無くなりそうになった。

 

初めて見たのが中3のときだったと思う。

それ以降時々体が重くなってすごく苦しくなって意識が遠のく夢を見るようになった。

 

覚めようと思ってもなかなか覚めないところが厄介で、体に力を入れようと思っても入らないから「ハァァァー!!!!」って感じで気合いで解除しないといけない。

それがなかなかうまくいかなくて苦しみ続けるから最悪。

(ラフレシアは最初の一回だけ)

 

二位

 

心臓の鼓動が速くなりすぎる夢。

実際に心臓の鼓動が早くなっていたのか血管が凄く膨張してる感じがして目が覚めた。

本当に死ぬかと思った。

 

三位

 

歯を食い縛りすぎて歯が砕け散る夢

一時期この夢を見すぎて、実際にその夢を見ているとき顎に力が入っているのか、顎が痛くなった時期があった。

 

 

一位に描いた夢を思い出しながら絵に書いてみた。

f:id:kusottare-yarou:20190127113602j:image

 

こんな感じ。

お目汚し失礼。

夢のサイケデリック感を出そうと思って水一杯にしてぐしゃぐしゃにしたら失敗した。

 

 

 

 

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読んだ 10/12追記

このブログを見て気付いたが、僕はこの時期になると本を読みたくなるらしい。

前回本の記事を去年の秋に書いて、それ以降本の記事は書かずいた。

ブログに感想を書いていなかったからと言って、本を読んでないわけではなかった、と言う事ではない。

去年の秋に色々と読んで、それ以降殆ど本を読まなかった。

今年読んだのは、夏目漱石の「我輩は猫である」とトマス・ハリスの「羊たちの沈黙(上)」あとアイザック・アジモフの「ファウンデーション」ぐらいだ。しかも我輩は猫であるは面白く感じなくて100何ページかで読むのをやめて放置したし、羊たちの沈黙もまだ下巻を読んでいない。

ファウンデーションにいたっては内容が濃すぎてめんどくさくなって80ページ辺りで放置状態である。

読書家達には怒られるかもしれないが、僕は読めない時には本当に読めない。

自分好みの小説だと思ったのだが、その時はどれもピンとこなかった。

 

しかしこの秋、僕はまた本にハマりだした。

(去年本にハマった時、勢いで小説擬きをちょっと書いたりしたのだが、今年もやってしまった。去年も書いてたのはついさっき気がついた。)

小説擬きを書いたのは今回ハマった本にハマる前だから、僕の中の本ブーム再熱の予兆はその時からあったのだろう。

読書の秋というのも侮れないものだ。

 

そのハマった本というのが、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」だ。

一昨日ふらっと寄った本屋で、休み時間にでも読むかと思って買ったこの本だが(上に書いた三作を読み切っていないくせにちゃっかり新しい本に手を出した事については許してほしい)、昨日と今日の休み時間でほぼ読み切ってしまった。

積ん読癖がつき始めたのでまた同じ二の舞を踏むかと警戒していたがそんな事はなかった、面白かった。

僕は普通本をゆっくり読むのが好きだから、ゆっくり読みつつ、1ページを2往復したりして色々と考えながら読み進めるのが常だった。

しかしこの本に関しては、面白すぎてページをめくる欲求を抑えられなかった。

普通にパラパラ読んでいくのもこれはこれで良いものだと気が付いた。(今更)

これを機に熟読癖を直そうかなと思う。飽き性なくせにゆっくり読むから本を積んでしまうのかもしれない。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はSF小説で、科学が発展した世界の話だ。

地球は核戦争で荒廃していて、人類の殆どは火星に移っている。

そんな地球に残った人間の中の一人である賞金稼ぎの男と、その標的である、火星から逃げてきたアンドロイド(奴隷)達の話だ。

人工物であるアンドロイド達も、人間臭いロボットなのか、それとも人間とは思考回路がかけ離れている、ただのロボットなのか、分からない様な存在で奇妙だが、この世界の人間も、核戦争の影響でおかしくなっていて、精神異常者みたいなのばっかだし、読んでいる途中で、人間がアンドロイドに見える事すらある。

世界観も独特で面白い。題名の「電気羊」は、生物が殆ど死に絶え、生きた本物の動物を持つ事がステータスとされる世界で作られた、限りなく本物の羊に近づけたロボットの羊のことだ。

色々なこの世界独自の設定があって、奇妙で中毒性のあるフィリップ・K・ディックの世界の虜になってしまった。

 

あと20ページほどでこの小説を読み終わってしまうのだが、一度読み切っても、何度でも読めそうな程面白い作品だと思った。

因みに好きなキャラはイジドア。

 

この小説を原作にした「ブレードランナー」と言う映画が1982年に公開されているのだが、その続編が去年の今頃公開されていたらしい。

今度両方とも観てみようと思う。

 

10/12日追記

 

読み終わった。一回読んだだけじゃ内容を理解できたとは言い難い。読み返す度に様々な角度から発見があるだろう。

後書きに書いてあったが、作者が言うには

 

「わたしにとってこの作品は、人間とは何かという疑問に対する初期の結論を述べたものである。......あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、わたしにとっては、我々を岩や木切れや金属から区別しているものであり、それは我々がどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない」

 

という事らしい。感情移入が人間の最も大切な能力というのはわかる気がした。

正直、最近僕はずっと一人でいるから、感情移入能力が乏しくなっている事を感じる。

他人なんてどうでもいいと言うスタンスが板についてきてしまったので、人に危害を加えたり約束を破ったりしても、前ほど罪悪感を感じないんじゃないだろうか。不登校になってから心が冷えていて、正直それは高校に通っている今でも続いているような感じがする。それともこれが大人になっていくという事なんだろうか。

 

昔はそのような事をすると信頼とか、自分の善性とかを色々と失う気がして怖かったけど、今は失うものがそれ程無い様な感覚で、何かを頼まれても、自分が疲れるなら相手が困っていてもやらなかったりする事への抵抗が薄い。

 

後書きに書いてあったアンガス・テイラーという人の書評にギクリとさせられた。

 

「ディックのアンドロイドと言う隠喩の中核をなすものは、機械的な行動パターンに浸された人間ーー模造的な人間である。大多数のSFにおけるアンドロイドは、迫害された人間、人種的あるいは経済的に差別された人間である事がはっきりしている。そして、その迫害や差別のよってきたる原因は外面的なものであり、なんらかの直接の外的行動によって修正する事ができる。......しかし、ディックは、それと全く違った意味を、アンドロイドに与えている。ディックにとって、アンドロイドとは、内面的に阻害された人間ーーつまり、分裂病その他なんに限らず、“現実”の世界(人間的な関わり合いと感じ方の世界)に接触できなくて、うちに閉じこもり、機械的な生活を送っている人間ーーの象徴なのだ。......この新しい観点に立てば、アンドロイドが天真爛漫さと悪意とを同時に持ち合わせ、自分の正体を知っている時もあり、ほとんど人間そっくりでありながら、人間社会にとっての潜伏的な脅威であることも、決して矛盾ではなくなる」

 

読んでいた時、アンドロイドは自分の事しか考えないサイコパスな奴等だと思って嫌いだった。

しかし僕こそ、そんなアンドロイド性を持っているんじゃないかと考え直した。

 

アンドロイドのレイチェルの下りなど、この小説を読んで僕が感じた事を例えで表現しようと色々書いてみたのだが、どうにもしっくりこなかった。それは僕の本質を見抜き具体化する力が足りないからかも知れないが、この小説特有の設定だからこそ生きる教訓でもあると思った。

 

なんだかんだ言って結局、創作として面白かったんだと思う。

 

※最後に

一番驚いた事は、この小説が1968年に刊行されたという事だ。仰天した。

読んでいて殆ど古臭さを感じなかった。

もっと最近の小説だと思っていた。

 

 

 

Born to be blueはChet bakerが作ったと言いましたが嘘ですごめんなさい

Mel TormeさんとRobert Wellsさんと言う方でした。

本当にごめんなさい。

 

まあそれはそれとして最近ジャズにハマっています。

 

オススメはやっぱChet Bakerです。

 

カッコイイです。「But not for me」とサックス奏者のスタンゲッツさんとコラボした「Jordu」が特に好きです。

 

Cher Bakerさんは声がとても綺麗ですよね。

あんなかっこいい男になりたいなあと思いました。

 

他にもレニートリスターノやアートテイタム、フィニアスニューボーンジュニア

(英語で書くのめんどくさくなった)

なんかもオススメですが、今の僕の気分としては断然チェットベイカーさんですね。

 

あと讃美歌にも興味が出てきました。

讃美歌を歌うと元気付けられます。

昨日とても鬱っぽくて、もうヤバイって時に小さい頃教えられた讃美歌「雄々しくあれ」を歌ったら元気が出て助かりました。涙が出そうになった。

(ここで泣くのはなんか違うなと思ったので堪えましたが)

「歌いつつ歩まん」は僕の周りにも好きな人がたくさんいるのですが、僕も大好きな歌です。

 

現代讃美歌も良いです。

マイケル・W・スミスなんか聴くと泣きそうになります。

「Breathe」「Above all」

みたいな感じが神様への賛美を叫んでいる様で歌うと自分も神様に叫んでいるような気持ちになって、魂に火がつく。

讃美歌はある意味ロックですよ。

 

イエス・キリストも最高にかっこいいRockerだと思います。

 

 

今日の一曲

エルヴィスプレスリーのHeartbreak Hotel

https://youtu.be/W4euyTDhFnk

 

ちょっとロック入ってますがジャズでもありますよね。

それにエルヴィスは讃美歌が好きでよく歌っていたそうです。