近道したい

高校生が日々の不満やストレス、日常のちょっとした出来事、ふと思い付いた事などを綴っていきます。

ライトノベル・今日の聖句

僕は最近ライトノベルに興味が出てきた。以前からそこそこ興味はあったが、より読みたいと思うようになった。

一応ライトノベルは持っている。森見登美彦有頂天家族というコメディものと、氷菓という推理ものだ。氷菓については以前ブログに書いたような気もする。有頂天家族は四月ごろにブックオフで買った。しかしこの作品達はライトノベルの中では比較的硬い方で、もうちょっとゆるい文体で派手な展開をしたものが一般的らしいと見ている。最近は少年漫画のような展開をしたものに興味があるので、そのように思えるだけかもしれないが。

両者ともアニメ化もされたみたいだし機会があったら見てみたい。

ライトノベルに興味を持った切っ掛けを話すと、2年ぐらい前にabematvで人類は衰退しましたと言うアニメが放送されていたのを見たのが発端だ。abemaをめっきり見なくなったので知らないが、今もたまに放送されているかもしれない。ベアグリルスのMan vs Wildが目的でabemaを見ていたのだが、なんとなしにチャンネルを切り替えた時に偶然それを見つけて、それがとても面白かったのだ。

僕の性格的に毎回テレビを決まった時間に見るという行動ができないので、それ以来見たことはなかったのだが、その作品が気にいったので調べると、ライトノベルが原作だという事を知った。これが僕がライトノベルに興味を持った切っ掛けだ。それでさっき言った有頂天家族氷菓を買った。

なぜ人類は衰退しましたではなく上記の2つを買ったかというと、人類は衰退しましたの表紙が少しオタク臭かったからだ。僕の親は僕がそういうのを持っているといじってくるので、それはなんか嫌だなと思って保留にしてしまって、今もまだ買っていない。しかし有頂天家族氷菓の表紙はふつうの小説と変わらない感じで、抵抗なく買えた。両方とも面白かったし、特に氷菓は推理ものの嫌いな僕でも楽しく読めた。たぶん人が死なないからだろう。発狂した殺人鬼や嵐に巻き上げられた鮫が人を襲うのは嫌いじゃないのだが、普通の人間が人を殺すのは苦手だ(読めないと言うほどでもないが)。氷菓は作中で人が死なないし、登場人物たちがいい感じの青春を送っているので、読んでいて結構リラックスできる。

有頂天家族は長い間放置していて昨日から読み始めたばかりだ。今のところ文体がユーモアで読んでいて楽しい小説という印象だ。

 

そんな感じのライトノベルを読んでいたのだが、最近もうちょっとゆるいライトノベルが読みたいなと思い始めた。精神年齢が上がったのかもう表紙がどうのとかは気にならないし、人類は衰退しましたをそろそろ買おうかなと思っている。

他にも「とある魔術の禁書目録」や「涼宮ハルヒの憂鬱」「ソードアートオンライン」(これは読むかわからない)「とらドラ!」「物語シリーズ」(これも読むかわからない)「キノの旅」などや俺がラブコメが〜みたいな題名の有名作品群を読んでみようと思っている。

 

 

聖書コーナー

今日の聖句

 

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

                                                       詩編1:1〜3

 

最近よく思う。僕を満たしてくれるのは結局神様なのだ。例えば僕も高校生で性欲も強いので、我慢できなくなって手淫してしまうことがあるのだが(本当に僕は雑魚である。信仰者とし本当に恥ずかしいことだが、隠すのはもっと悪いと思ったので言っておく)、最近は少なくなっている。

神様という命の水に満たされることを覚え始めたからだと思う。

神様は人間にとっての水。それに繋がっていれば渇くことも枯れることもない。

 

1062件もアクセス数があった事に驚いた話・その他の話

放置していたこのブログのアクセス数を見てみたら1062件だった

僕は基本恥ずかしいことが起こった時や、鬱になっている時にこのブログを思い出す。ここに書かれているのは僕の恥ずかしいところなのだ。

僕の恥ずかしいところがこんなに沢山の人に見られてるなんて(//∇//)

うわー(//∇//)

なんか気持ちいい

 

適当に近況報告する。

 

まず、進路についてだが、死ぬほど悩んでいる、以上。

悩むと言ってもポジティブな悩み方ではないとだけ言っておこう。祈っていてほしい。

最近は神様についてよく考える。

今回はちょっと神様について語ろうと思う。

 

このブログを見るとわかる通り僕は結構な頻度で神様について考えを巡らせるが、そういう考えに加えて神の臨在というものを少し意識するようになった。そして、キリストを信じる人間として生きていく上で、聖書に書かれている神の御言葉の重要性を理解し始めてきた。

 

もちろん、この御言葉というものは神様を信じていない方にとっても、人生を生きる上でよい教訓として指標になってくれる言葉だと思う。

実際に聖書の箴言という箇所は、処世術のような事が書いてあり、ビジネス等をする時の心構えや、先人の知恵としてその考え方を取り入れている企業などもあると聞いた。

しかし、僕としては処世術としての方法論的な価値とは別に、聖書が神の言葉であるという所に価値を感じるのだ。だから、聖書を読むときは神様との対話のような意識で読む事にしている。聖書の内容と今の自分の状況とを当てはめ、神様からの個人的なメッセージとして読むのだ。そうすると神様は聖書を通して的確な言葉を僕にくれる。

それは時には自身の負い目、痛いところを付いてくる事もあるが、聖書を読んでいると元気になる。読むと勇気付けられる。

 

それ以外にも御言葉というものに直接的な神の力を感じる事が最近多い。

前に書いたように僕は変な悪夢や金縛りに苦しめられる事が多いのだが、そんな時御言葉を思い出して、「俺はキリストの血によって神様に買い取られたのだ!」と宣言すると嘘のように悪夢が立ち去るようになった。

これは余談だが、Youtubeで見るカリスマ派とかペンテコステ派とかの説教や礼拝で視聴する限りでは「キリストの名によって悪霊よ出て行け!」と言ってこう言った嫌な現象を追い払う事を試みている人が多い(偏見を多分に含むと思う)が、これだと僕は全然ダメだった。やっぱり、「キリストが十字架にかかって僕らは神に買い戻された」と言う事を意識する事が最重要事項だからだろう。

まあ、この件に関してはただの自己暗示が発生しているだけだという意見もあるだろう。その意見を全く考慮しないわけではない。

しかし僕は聖書の言葉を信じる事で、悪夢が立ち去るようになったこの一例に感動したし、神様のおかげだという確信がある。

 

それ以外にも、御言葉は声に出して読むといい。聖書には自分の唇を制しなさいと出てくるが、神の言葉をその制すべき唇から出すことは良いことだと思う。

聖書を読んでいてピンときたところを声に出して読むと、より御言葉への理解が深まって、同時に神様への理解も深まっている気がするし 、元気が出てくるのだ。多分これは聖書が真理だからだと思う。頭や心で真理を理解できなくても、体が真理を体感しているんじゃないだろうか。

 

神様を信じていない人にも、聖書を読んでみる事をお勧めする。

幸い、スマホでYou Versionと言う聖書のアプリが無料で配信されている。いくつかの訳が入っているので、それぞれの訳を比べて読むこともできる優れものだ。

毎日表示される今日の聖句という短い欄を読むだけでもハッとさせられる事が多い。

 

最後にいくつか最近心に留まった聖句を貼っておく。

 

「さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。」
‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭13:9‬ ‭口語訳‬‬

 

この恵みというのは、何々をやったから貰う”報酬“ではなく言葉通りの恵みのことだ。

神様は必要なものを与えてくださっているし、それは僕が何かいい事をしたからじゃない。

いい事をしなくても求めるものには与えてくださる神様だ。

 

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。」
‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭13:8‬ ‭口語訳‬‬

 

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭1:20‬ ‭口語訳

 

「ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭3:16‬ ‭口語訳‬‬

 

「泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、」
‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭7:30‬ ‭JA1955‬‬

 

「良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。」
‭‭伝道の書‬ ‭7:1-5‬ ‭口語訳‬‬

 

世の中俯いていないで笑おうと言う風潮が多いが、世界で一番読まれていると言われる聖書がこのように言っているのは興味深い。

(いつも喜んでいなさいと言う箇所もあるが、悪い事を喜ぶんじゃなく、悪い事を通して神様が恵みを与えてくださると信じようと言うことで、悲しい時でもヘラヘラ笑ってなさいって意味じゃない)

キリストもこう言っています

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」

マタイ 5:4

 

「何を守るよりも、自分の心を守れ。
 そこに命の源がある。」
 箴言 4:23
 

「いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」

イザヤ書 55:13 (ミルトス=ギンバイカの事。祝いの木として、祭りやめでたい行事の際の装飾品として用いられるらしい。個人的に結構好き)

 

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14:27‬ ‭口語訳‬‬

 

もし神様について知りたいと思うなら、旧約ではなく新約のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書から読む事をお勧めする。

福音書にはキリストの生涯が書かれているからだ。

キリストは神の子であり神だ。(三位一体という。なかなか難しい概念で僕もよく理解できているかわからない)

簡単に言うとキリストに神の性質が一番現れている(と言うか神)。だから神様を知りたいと思うならキリストを知るといい。

そうして神様について事前知識を深めたところで、その他の新約や旧約などで神と人間の関わり方についてわかりやすくなるとおもう(素人考えだが牧師も新訳からがいいって言ってたしそれがいいと思う)

 

 

以上。

 

 

 

前回のブログの下書きに完全に同意。

また死にたくなった。

ここ最近欠席と遅刻を繰り返している。

職員室で、「高3なのに休みすぎ」と先生に怒られた。

当たり前なので、僕も頑張らなきゃ、と思った。

職員室から出て、自分の情けない現状を認識して、先生の言葉を反芻したら「こんなんでこの先どうなるんだろうか、僕の人生終わりだ」と思って、涙がブワッと出てきた。

急いでトイレに駆け込んで、個室に入って泣いた。

最近涙脆くなったのか、一人で泣く事が多い。

しかし基本学校では鉄仮面の僕が、高校で泣いたのは初めてだった。

教室に行くと、目が真っ赤になった僕を見て、結構僕に話しかけてくれる、ある二人の友達が元気づけてくれた。マジで嬉しかった。彼らに祝福あれと神に祈りまくった。

学校で泣いたことによって、少し学校が身近に感じれるようになったと思ったのだが、僕の暗黒の時代はそこで終わらなかった。今日また欠席してしまったのだ。

優しくしてくれた友達に見せる顔がない。

そんな思い煩いもある中、テストや課題にも追われている、雑魚の僕にとっては正直かなりピンチだ。

だからこの2年半こういう時のストレスの吐け口になってくれたブログに戻ってきた。

書いていて少し楽になった。

去年書いたブログの下書きが面白かった

長かったゴールデンウィークもあと1日。

何もする気が起きないから、自分のはてなブログを読み返して、変な文章書いてるな僕とかウダウダ考えてていたら、丁度去年の今頃書いて放置してあった下書きを見つけた。

あの時は読み返して自分は何を書きたいのか混乱して投稿するのをやめたんだった。

 

読んでみたらなかなか面白く、読後何故か元気が出てきた。

(あの頃の自分こんな事で悩んでたんだな、可愛いなおいみたいな)

猛獣には餌としてコミュニケーションとか意味不明な事も書いてあるが。

令和になってから何も更新していなかったので、これを投稿する事にした。

 

2018年5月02日

題名 友達・何故僕はぼっちなのか 

 

うちは猫を飼っている。

ぼっちの僕の友達は猫だけだ。

猫も僕を友達だと思っているだろう(多分)

猫は気に入ったとか嫌いだとか、そんな理由で善意を与えようとしたり悪意を与えようとしたりしない。

ただ人間が危害を加えないとわかると逃げなくなるだけだ。

こっちが撫でるとあっちも舐めてくるし、無理矢理動かしたりすると怒って猫パンチされるだけだ。

ただの反応だ。そこに面倒くさい思考は介在していない。

 

猫とのコミュニケーションは僕にとって完全に自然なものだ。

 

動物によって性格の違いはあるけど、僕は全ての動物とコミュニケーションが取れると思う。

ある時は人間として、ある時は猫として、野生のライオンやクマなんかには餌としてコミュニケーションが取れる自信がある。

動物は僕がいなくなってもそこまで何も思わないだろうし、いてもそこまで何も思ってないからだ。

だから餌にされるのに危険は感じても、怒りは感じない。

 

人間は関わり始めると何かを求めてくる。

ただそこにいることを許してくれない。

話す時だって、楽しげにしているよう努めないといけない。

人間は関わると僕の中身を求めてくる。

高校始まったばかりの頃、僕は友達は作れるだろうと思って喋ろうと努力した。

中学の頃、人と関わるのに疲れてヤバかったから、僕が定めた距離感は変えないようにして。

 

一番最初はある程度喋る奴ができた。

愛想笑いとかちょっとした冗談を言うのは得意だからだ。

でも、会うたび会うたび喋らなくなり、二週間後くらいには全くと言っていいほど喋らなくなった。

 

僕は放課後どこかに誘われても行かなかったし、会話でも全然発言しなかったし、いちいち突っ込みするのも疲れて、次第に回数が減っていった。

 

客観視すると仲良くなる気あんのかこいつと思うが、僕は自分の精神がおかしくならない範囲で、人と接して、コミュニケーションを取っているつもりだった。

 

しかし勿論周りが僕に合わせてやるなんてことはない。

 

二回言うけど僕は自分のできる範囲で、コミュニケーションに努めた筈だった。

 

しかし甘かった。

 

自己と他者の両立なんてできないと気付いた。

自分を選ぶか、他人を選ぶか。

今でも僕の前にはこの二択しか無いように感じている。

 

自分の安全を選ぶとぼっちになり、他人との関わりを選ぶと自分が疲労して、精神が持たないだろう。(実際経験済みだ)

人との繋がりは欲しいのに、人と会話している時は好きじゃ無いことを無理やりやっているような気持ち悪さがある。

 

この時教訓として学んだのが、求められている一定以上のコミュニケーションができないのなら、そもそも人との関わりは必要な時だけ最低限にすべきで、友達みたいな人との繋がりを求める資格はないと言うことだ。

 

だからそれからは静かに過ごしているし、一年すれば慣れた。

 

 

 

今日の曲 Eric Satie エリックサティ!!

エリックサティは素晴らしい

何というか痛いけど(有名な作曲家に共感!とか言うの痛いけど)、凄く共感できる。ソウルメイトという奴だろうか。(痛い)

 

彼の作品で有名なのはこれ「ジムノペディ」だろう

どこかで一度は聴いた事があると思う。

 

https://youtu.be/_fuIMye31Gw

 

僕のお気に入りはこれだ

第一曲の「ナマコの胎児」を家で弾いてみたりもした

楽譜には詩のような物が書いてあってこれもまた面白い。「かすかなゴロゴロ」が特に好き。

ナマコの日常の中の小さな冒険である。

 

「干からびた胎児」

https://youtu.be/1VyJFlXK70M

偉そうだがナマコの胎児はもうちょっとテンポが速い方が好み

 

 

ところで、曲名が奇抜なのが気になると思う

エリックサティの曲は奇抜なものがとても多い

ジムノペディ」も古代ギリシアの神々(アポロンバッカス等)を讃えるために青少年を大勢集めて裸で踊らせる祭典「ギュムノパイディア」の事だし

(wikipediaに書いてあった)

 

他にも犬のためのぶよぶよした前奏曲

(犬のための)本当のぶよぶよした前奏曲

ワルツ「目に意味ありげにキスする」場末の姉さん等がある(変なのが沢山ある)

 

エリックサティは、アンコエラン派とか言うモナリザに髭を描いてタバコを吸わせるような、中高生の落書きみたいな事をする連中と連んでいたようなので、その影響もあるんでしょう。

あとは色々と皮肉が込められていたりするようです。

 

今でこそ現代の環境音楽(bgm音楽)の祖とも言われるサティだが、当時の音楽界にとって異端であった彼が、ドビュッシーに「形式的な音楽を作ってみては」と忠告され作ったピアノ曲「梨の形をした3つの小品」

(これもとてもいい)

フランス語の「梨」と言う単語にはもう一つの「まぬけ」や「うすのろ」と言った意味があり、ドビュッシーに対する皮肉になっている。

 

とかがあります。(wikipediaに(ry)

 

あと本当の犬のためのぶよぶよした前奏曲も、犬のためのぶよぶよした前奏曲を出版社に持って行った時に拒否られた事に対する皮肉でつけられた曲名だそうです。

 

こんな感じで名前からしてとても楽しいエリック・サティの音楽!

 

梨の形をした3つの小品もそうですが

、冷たい小品と言う作品もおすすめです。

エリック・サティの曲は名前と同様曲自体も奇抜なものが多いのですが、ジュ・トゥ・ヴー(お前が欲しい)の様な普通にいい感じのシャンソン音楽も作っています。

(これも聴いた事がある人多いかもしれません)

「ジュ・トゥ・ヴー」

https://youtu.be/eqqPvg-tD7Q

 

ピアニストですが僕は高橋悠治の演奏を良く聴きます(アマゾンミュージックで聴けるから聴いてるだけでこだわりとかはない)

こだわりは無いですけど、やっぱり演奏って奏者によって結構印象違ったりするので重要ですよね。

 

書くの疲れてきたしこんぐらいにしときます。

 

皆さんもエリック・サティを聴いてみては如何でしょうか。

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

今日学校をサボった あとふと思った事

今日学校をサボった。

朝起きたらなんか行く気にならなくて、母は用事で家にいなかったからそのままサボった。

最近結構こういうことがある。

どうしても動けないことが多い。周りからはみんなも辛いんだよとか言われるが、自己中な僕は、周りが辛いからってなんで僕も辛くならなければならない?と本気で思っている。

 

まあ2年間無理したから少しガタがきているのだろう。遅刻も増えているので来週からは元どおりになりたいと思っている。

 

高校へ行くのには授業料がかかるから、お金を払っている親には悪いことをしたが、親は子供が親不孝か親孝行になるかなんてわからないのに、子供を作るわけだから、多少の親不孝は許してくれるだろうと認識している。

 

あとこの前老人が騒いでる若者をうるさいからって車で轢き殺した事件の話を聞いた。

その話題が正月におじいちゃんの家に行っていた時に出て、おじいちゃんやおじさんたちはそいつをバカだバカだ言っていたが、その話を聞いている時僕はヒヤヒヤしていた。

最近病んでいるから、このまま老人になって認知症にでもなって、精神のタガが外れたら、僕もそうなるかもしれないと思ったからだ。

 

なんでそう言う思考になっちゃったかと言うと、犯人をバカだバカだと言うおじいちゃん達をみて、自分が言われている気がしたからだ。

 

そこで思ったのだが、よく父も夜家でニュースをみて、こう言う事件に頭おかしいとかネチネチ言っているし、ツイッターでは間違いを犯した途端炎上する。

僕は父やツイッター民の怒りが理解できないってだけで、彼らがバカだとか言うつもりは無いが、そう言う人たちはただ怒ったり論争するのが好きなんだろうなと認識している。

ツイッターや家の中でネチネチ言っても世界が変わるわけじゃあるまいし。

 

俺の場合そう言う嫌なニュースは注意しないと目に入ってこないし、目に入っても世の中嫌な事もあるなあで流してしまう。

ネチネチ怒ることに僕の時間を消費したくないからだ。

 

僕から言わせればそんな事に時間を消費するぐらいなら、自分がそうならないように注意すべきだと思うのだが。

 

キリストみたいに悪い奴を改心させたいとか思ってるならともかく、

悪い奴が嫌いなだけなら、わざわざ嫌いな奴に時間を使わなくていいだろうに。

 

そんな事を書いてて気づいたが、僕も嫌な事に対してこうやって時間を使っている。

 

金縛り 最悪な夢

僕は自律神経がおかしいからか、よく金縛りになるが、ここ一ヶ月くらい全く見ていない。

嬉しい。

 

ふと思い立ったので僕が今まで見たワースト三位の夢を紹介しようと思う。

 

一位 (金縛り?)

 

やけに明るい緑色の変な密林みたいなところで、巨大なウツボカズララフレシアのような植物が出現して、体がとてつもなく重くなり、意識が無くなりそうになった。

 

初めて見たのが中3のときだったと思う。

それ以降時々体が重くなってすごく苦しくなって意識が遠のく夢を見るようになった。

 

覚めようと思ってもなかなか覚めないところが厄介で、体に力を入れようと思っても入らないから「ハァァァー!!!!」って感じで気合いで解除しないといけない。

それがなかなかうまくいかなくて苦しみ続けるから最悪。

(ラフレシアは最初の一回だけ)

 

二位

 

心臓の鼓動が速くなりすぎる夢。

実際に心臓の鼓動が早くなっていたのか血管が凄く膨張してる感じがして目が覚めた。

本当に死ぬかと思った。

 

三位

 

歯を食い縛りすぎて歯が砕け散る夢

一時期この夢を見すぎて、実際にその夢を見ているとき顎に力が入っているのか、顎が痛くなった時期があった。

 

 

一位に描いた夢を思い出しながら絵に書いてみた。

f:id:kusottare-yarou:20190127113602j:image

 

こんな感じ。

お目汚し失礼。

夢のサイケデリック感を出そうと思って水一杯にしてぐしゃぐしゃにしたら失敗した。